2020年2月24日にアメブロに投稿している記事です。
こちらに移動しました。
「臨済録」を集中的に読んでいた時期です。
書かれている言葉を、心が求めていたのでしょう。
今でも、大事に読み続けています。
唐末頃の禅宗の僧、臨済の言葉を記録した「臨済録」の一節を紹介します。
あるお寺で修行しているお坊さんたちを前に、臨済が座って話をしているところです。
現代語訳は暖淡堂が行いました。
ー君たち、こんなところに大勢で集まっているなんて、なんて時間の無駄遣いをしているのだ。
ー君たちは、あちこちと横道に迷い込み、禅を学ぼう、道を学ぼうと余計な努力をし、物につけられた名や語られた言葉をことさらに大事にし、仏や祖師の振る舞いの意味を求め、善知識といわれるものを追求して、それに縋ろうとしている。
ー間違ってはいけない、君たちよ。
ー君たちには、君たちをこの世に生んでくれた父と母がいるではないか。君たちは今、そこで、確かに生きているではないか。そのこと以上の、一体何を求めようというのか。
(「臨済録」示衆より)
臨済の前に座り、臨済の言葉から悟りのきっかけになるような貴重な言葉を聞きとろうとして、耳を澄ましている僧たちに、臨済はこう語り掛けます。
あちらこちらをウロウロと彷徨っていないで、自分自身をしっかりと受け止めろ。生きている自分をそのままで認めろ。自分にないものを無理に作り出して、それを欲しがるような余計なことはするな。
自信を持て。
臨済はそう言います。
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「臨済録」は口語体の漢文テキストの読解力をつけるための読書に好適かと。古い漢文を読み慣れていると、戸惑うこともあります。
禅は仏教ではありますが、思想書としても、自己啓発の書としても読めます。
- 暖淡堂書房の書籍から -




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