同級生の葬儀に参加するということ なぜか居場所がなくて落ち着かない

2022-08-27

移住のこと 暖淡堂の足跡

北海道砂川で過ごした昭和の日々

  

小学校の同級生のお通夜に参加したのは、それが最初で最後。  

その後、現在まで、一度もありません。

それで、とても忘れられない出来事になっています。

少し前の、自分の祖父の葬儀の時とは、まったく違いました。

祖父の時は、いつかくるものという心の準備が出来ました。

同級生の死は、突然訪れたものでした。

なので、どう受け止めたらいいのかまるでわからない状態で、ただ流されているだけのような気がしていました。

  

【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)④

  

 沢井さんの家で行われた通夜に行った。父が連れて行ってくれた。

 子供会の代表だからとのことだった。私は、私の住む地区の小学生のうちで、最年長だったからだ。

 父は、近所の大人たちと一緒に静かな声で話をしていた。

 私は前から三列目の一番右端に座っていた。私以外に、子供はいなかった。沢井さんのお兄さんやお姉さんがいるはずなのに、見当たらなかった。

 花や灯篭が飾られていた。その中に、沢井さんの写真が立っていた。歯を見せて、笑っている写真だった。沢井さんのお母さんの写真もあった。見かけたことはあったが、話をしたことはなかった。

 祖父の葬式を思い出していた。沢井さんと、沢井さんのお母さんの葬儀のための二人分の祭壇が、祖父の時よりもずっと小さかった。

 部屋も狭く、来ている人も少なかった。

 私はなぜか、とても居心地が悪く、早く帰りたかった。

 

 雪虫が飛ぶ季節になった。

 近所では、脱穀機から吐き出されたもみ殻を燃やしていた。その、苦いような煙の匂いを嗅ぎながら、放課後は、私はいつものように本を読みながら帰っていた。

 灌漑溝に架けられた橋を渡るとき、私は橋の下を見た。

 水は少ししか流れていなかった。

 どこから転がって来たのか、大きな石が、水から頭を出していた。その周りに、風で飛ばされて来た稲わらが絡みついていた。

 私は橋の上から川の少ない水の流れを見続けた。

 どれくらい水の流れを見ていても、船は進まなかった。


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北海道砂川で過ごした昭和の日々

  

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小学校での生活を書いた部分はここまでです。

お読みいただきありがとうございました。  

  

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