2007年7月、家族で山口に暮らし始めて2年目、下旬に梅雨明け、一気に夏らしくなった

2024-08-17

暖淡堂の足跡

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2006年に家族で山口県に引っ越した。その前は千葉県に住んでいた。

2007年の7月で、山口県での暮らしが1年になり、だいぶん慣れてきていた。

娘も、近所で友達ができ、毎日一緒に遊んでいた。

そんな頃のことを、日記を頼りに、少し思い出してみたい。

気候のこと

2007年7月の始まりは、涼しかったようだ。そのまま涼しい夏になるのではないかと心配していた。過ごしやすいのはいいが、夏らしい夏にならないと寂しいと日記には書いてある。

梅雨が続いていて、夜、激しい雨が降ることがあったようだ。水不足の心配をしている。前年は、水不足だったのかもしれない。しばらくは梅雨らしい天気が続いている。  

水不足を心配しながら、大雨になると迷惑だと思うのが、とても身勝手だろうとも書いてある。還暦間近の今となれば、人間など常に身勝手なものだと言って、笑っていられるのだが。

中旬に台風接近。風雨が強かったようだ。土日のことで、家族全員、家にいて台風通過を待った。幸いにして、台風通過では、山口県内では大きな被害はなかったみたいだ。

台風が過ぎると、蒸し暑くなるのではないかと思っていたが、そうはならなかったらしい。涼しいまま、梅雨がさらに続いた。長く続いた梅雨で、九州の方では被災する地域があったようだ。

そういえば、九州の山の中の道は、いつもどこかしら工事中のように思っていた。大雨などによる崖崩れの回復工事や、予備的な補修が続いているということなのかもしれない。そのくらい、九州の山の中の道は、険しいところを切り開いて作られているということだろう。

7月下旬に梅雨明けした。すぐに気温が上がり、夏らしい日が続くようになった。夏空を見上げながら、どこか遠くまでいけるだろうか、などと考えていた。   

仕事のこと

出張の多い日々を送っていた。山口県の職場にいたが、東京に行くことが多く、名古屋や九州、北海道などへも行っていた。時々はタイにも行くことがあった。

研究開発の企画管理部門にいたので、研究開発に関係する会議の運営側の仕事がたくさんあった。それと、大学などとの連携の調整もやっていた。

名古屋に行く機会が増えていた。ノーベル賞を受賞した先生が主催するフォーラムに参加するためだ。その先生のまわりには、日本化学会の歴代の会長、大企業の役員など、エライ人がたくさんいた。

その頃は、自分もまたエラクなれたらいいな、などと思ったりしていたので、その人たちとの付き合いはそれほど嫌ではなかった。元気だったので、耐えられたということだろう。今であれば、謹んでご遠慮申し上げたい。

悪い人たちではなかったが、他人との距離の取り方が、いびつな人が混じっていた。そういう人の比率は、エライ人たちの中では、平均値よりも高い。それで、とても疲れた。 

タイの関係会社の人たちとの付き合いが増えたのが、ちょうどこの頃。何人かの人たちと食事をしながら話したが、皆、とても感じのよい人たちだった。

タイの人たちとの付き合いは、この先、さらに別の形で続くことになる。この頃は、そのイントロのような時期であった。 

家族での暮らしのこと

週末は家族で一緒にお出かけしていた。山口県は、家族で出かける先がたくさんあった。その頃、山口県に住んでいて、本当によかった。  

2007年7月下旬、秋穂のセミナーパークに遊びに行っている。梅雨明けの、夏らしい、暑い日だった。パーク内には渓流があり、その水を使って回す水車があった。

渓流の水はきれいで、暑い日に、とても涼しげな気分を味わうことができた。

セミナーパークはとても広く、その一部分しか見てこれなかった。

とても自然豊かなところだったのだなあと、今、改めて思う。  

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