「臨済録」の言葉(2)演若達多、頭を失却す そこに自分はいない
2020年3月1日にアメブロに書いた記事です。 こちらに移動させて、少し整理しました。 臨済録の示衆と題された巻の中に、演若達多(えんにゃだった)のエピソードが語られている部分があります。 臨済の言葉を聞こうとして集まっている人たちに、こういいます。 ー昔の人がいうではないか。演若達多は頭を失ってうろうろと探し回ったが、求める心がなくなったら、そのままで無事安泰の状態を手に入れた、と。 ー君たち、普段通りに生きていくことだ。ことさらなことなどしなくていい。 演若達多とは、昔インドにいた美しい人のことです。 この人がある朝身支度しようとして鏡の前に座るのですが、ふと鏡を使わずに自分の顔をじかに見ようとします。 しかし、どうやっても見ることはできない。そして、鏡に映っているのは魔物によるまやかしだと思い込んでしまいます。 それから演若達多は自分の顔を求めて町中をうろつきます。 演若達多はいつも自分とともにあるものを見失ってしまい、それを自分の外に探しに出てしまいます。 臨済はいいます。探し回ることをやめてしまえ。もともと、どこか外にあるのではない。君たちが見失っているだけだ。 何度も繰り返し、言葉を変えながら、自信を持てといいます。 * 「自分探しの旅」という言い方がありますね。 そんな旅に出かけた人は、どこかで自分を見つけられたのでしょうか。 それは自分以外のどこかの場所にあったのでしょうか。 自分を見つけられていない人は、まだどこかを彷徨っているかもしれません。 自分を見つけられた人は、きっと、手ぶらのまま帰ってきたことでしょう。 静かな自信に満ちた笑顔とともに。 - 暖淡堂書房の書籍から - 臨済録<現代語訳> 著者:暖淡堂 現代の暮らしでは、自分自身の在り方を見失いがち。語り継がれてきた古典の言葉に、今日を穏やかに生きるためのヒントが見つかります。 Kindle版をチェック Tweet