蔵書の整理 結晶の精製のような
引越しをするたびに蔵書の整理をした。 一番多くの書籍を手放したのは、就職した時。 勤務先では、まず社員寮に入って、研修を受ける。 手荷物は最小限で来るように、と指示を受けた。 それで、本は移動中に読む本数冊だけを持って行った。 その後は、転勤するたびに書籍を整理した。 暮らしていると、自然と蔵書が増えていた。 20歳代、30歳代は、ほぼ本は買って読んでいた。 結婚してから、時々は図書館を利用するようになった。 それでも、本は買い続けていた。 その結果、随分と本は増えていた。 書棚をはみ出した本を柱のように積み上げ、その間に板を入れて、棚のようにして使ったりもしていた。 地震があっても崩れなかったので、まとまった書籍の山は、それなりに安定するのだと、不用心に楽観していた。 海外駐在をして、帰国してからは、基本図書館を利用するようになった。 そして、帰国の機会に、蔵書を本格的に整理した。 海外で暮らしている間、多くの書籍を、トランクルームに預けておいた。 それが、帰国して、暮らし始めた自宅に、まとまって戻ってきたのだ。 大量の書籍の置き場所に困り、多くを処分することにした。 買取業者に自宅まで来て、値付けをしてもらった。 その時、ざっと500冊くらいを処分した。 それでも、まだ全体の1〜2割程度の感じだった。 専門書よりも、新しい文庫本の方が高かったりして、書籍の値段のつき方が面白かった。 で、その後も、継続して、まとめて書籍を処分した。 その結果、現在の自宅の書棚を埋めている書籍が残っている。 これも、時々、並べ替えなどをしている。 そして、手放してもいいかな、と思ったものは処分している。 その処分のペースが、最近になって、ぐっと落ちている。 もう、あとは、しばらくは手元に置いておいていいかなと思うような書籍ばかりになってきた。 この書棚の書籍群は、僕の一面であると思う。 書籍の題を眺めて、そう強く感じる。 時間をかけて、結晶化させ、それをさらに何度か精製したようなものだ。 これが純粋な結晶になったとき、僕のある部分は完成するのではないか。 そのときに向けて、精製の作業を続けよう。 Tweet