面白い文章に出会った。
中観と唯識の考えにのっとると、「私」とは「『自分以外のあらゆるもの』ではないもの」です。つまり、他者(自分以外のもの)が変化すれば、「それではないもの」としての自分も変化せざるを得ません。
(「視点という教養 世界の見方が変わる7つの対話」、深井龍之介、野村高文、イースト・プレス、2022年、p115)
仏教の「空」の概念を前提とし、「私」と「他者」について説明した部分である。
この部分を読んで、思い出したものがある。
量子力学における「排他原理」である。
ある一つの電子が存在すると、その電子が存在する場所には他の電子が存在できない。
(その電子が存在する場所以外には、すべての他の電子が存在する。)
同じ場所に、二つの電子が存在する確率は、ゼロになる。
似ている。
もう一つ、思い出した。
ベルクソンの「時間と自由」の中に出てくる、ポールとピエールのことである。
ポールとまったく同じ条件を備えたピエールであれば、ポールの行動を予測できるとする。
そのとき、ポールはピエールになってしまう。
そう書かれている箇所がある。
(物質的宇宙での未来の出来事として予測されることと、意識存在の未来は、時を同じくしたとしても、同じではない。)
方向性はだいぶん異なるが、同じではそこにあり、同じでなければそこにはないということ。
似ているのではないか。
そんなことを思い出しながら、楽しく読んだ。
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